いかの塩辛と皆既月食

先週の土曜日(10日)、震災後に知り合った(都内に避難中の)福島のご夫婦を我が家に招いて「忘(望)年会」をした。前回は福島のお酒「大七」をご持参いただいたので、今回は東京の「多摩自慢」を用意。

いかの塩辛、ぬか漬け、水菜とちじめんじゃこのおひたしなどのつまみを作り、メインメニューは手巻き寿司。ネタは近くの魚屋で盛り合わせを頼んだ。思いがけず、いかの塩辛で盛り上がった。

「大好きなのよ。福島にいたときは、よく作っていた。味付けは塩だけ」「鍋に入れてもおいしいのよ」…。

そんな「塩辛自慢」で大盛り上がりしながら、ふっと気づいたことがひとつ。塩辛にしてもぬか漬けにしても、3月11日以前は家で作る定番の一品だったものが、避難先での暮らしではなかなか料理の手が届かないということ。ああ、この震災は、そのようなささやかな食卓を今も奪い続けているのかと改めて知る。

宴たけなわになり、「そういえば皆既月食始まっただろうか」と、数人で庭(といってもネコの額の小さな空間)に出た。西の空に満月がぽっかり浮かんでいた。「もうちょっと後だねえ」と部屋に戻る。やがて宴はお開きになり、みなさんを玄関先で見送った後でもう一度、庭に出てみた。

午後10時半、欠け始めた月が頭上にあり、しばらくして三日月になり、赤みを帯びた球体(皆既)に変わった。部屋においたままの携帯電話が鳴り響く。「京子さん、素晴らしいのよ、月を見て」と先ほど別れたばかりの福島の友。「見てる。ほんとに素晴らしいね」と私。「今日は本当に最高の夜だった。ありがとう」という言葉に、こちらこそ。

塩辛と満月と皆既月食が、何よりのご馳走だった夜。

 

地域のきずな

田舎の叔母から、みかんがどっさり届きました。近所に住む福島(ご自宅は放射能汚染されたため、こちらに避難中)の方に「おすそわけしたい〜」と連絡すると、「午後の散歩の帰りに、寄らしてもらうね」と。 地域が断ち切られた悲しみを共有しつつ、ならば新しい「地域のつながり」を創る一人に私はなりたい。どんなときも、どこにいても、未来に希望をもってつながっていきたい。

「祝の島」の監督、纐纈あやさんからのメール

『祝の島』の監督で、記録映画作家の纐纈(はなぶさ)あやさんに初めてお会いしたのは8月のことでした。ちょうど私も本を出したばかりのときで、『祝の島』上映会場の一角に主催者のご好意で幣書『笑う門には福島来たる』をおかせていただいていたのですが、纐纈さんは本を手にとり、ぱらぱらと中味を見ると、すぐに買ってくださいました。

先日、あるシンポジウムでご一緒する機会があり、本を読んだ感想をうかがったところ、こんなメールをいただきました(公開のご了解を得ています)。

「3月11日以降、東北の人たち、福島の人たちとどうつながっていけばいいだろうかと、思いと焦りばかりが募る日々。そんな時に、渥美さんは出会った福島の人々の声に耳を澄まし、文字に起こし、そのことをさらに自分の知る人、ひとりひとりに伝えていきました。何かがわかったから言葉にするんじゃない、答えが見つかったから伝えるんじゃない。一緒に笑おう、一緒に泣こう、一緒に考えよう、一緒に生きていこう。そんな渥美さんの思いが架け橋となって、たくさんのつながりが今も生まれています。この本は、自分が受け取ったひとつの言葉、ひとつの思いを大切にすることから、何かがスタートするのだということをあらためて教えてくれます。纐纈あや(記録映画作家)」

『祝の島』は素晴らしい作品です。瀬戸内海に浮かぶ山口県上関祝島に生きる島の人たちに、原発の建設計画が持ち上がったのは1982年。「海と山さえあれば生きていける。だからわしらの代では海は売れん」という祝島の人びとは、以来反対を続けています。島人と自然の営みに寄せる纐纈あやさんの眼差しは柔らかく、暖かく、「生きるために本当に必要なものは何か」が描かれています。http://www.hourinoshima.com/

福島から遠く離れて〜私の話を聞いてください 

本日、18時過ぎのNHKテレビは、世田谷で高い放射線量が検出されたことを受けて、都内各地で1マイクロシーベルトを超える場所が次々と見つかっていることを報道しています。さきほど、保坂世田谷区長が記者会見し、世田谷での高線量は個人宅に保管されていた瓶が原因で、福島第一原発のものではないようだ、と発表しましたが、いずれにしても私たちの暮らしが放射能に囲まれていることに変わりはありません。

私は毎日、文部科学省が発表した土壌汚染マップを見ながら、(3月11日以降、何度も感じたことではありますが)世界が変わってしまったことを改めてかみしめる日々。そして真っ先に思うのは、子どもの未来です。これまで描いていた未来は立ち消え、そして現在進行形で放射能汚染が続くことに、恐れおののいています

今、福島から首都圏に避難してきている女性たちに会い続けています。浜通りから首都圏に避難しているある女性に会ったのは9月末のこと。話を聞いて別れた後で「もっと話したいことがあります」とメールをいただき、昨日、会いに行きました。「3月11日からの話を聞かせていただけますか?」と私が言うと、

「小さい頃、おばあちゃん子でした。戦争の話を聞かせてとせがむと、その話はしたくないんだっておばあちゃんは言いました。私も3月15日からのこと、話したくないんです」

私はうなづき、そして彼女の言葉を待ちました。

「15日に初めて放射能が降っていることを知りました。その直前まで子どもを外で遊ばせていたんです。回りの人はどんどん避難していきました。私たちにはガソリンがなく、逃げることができなかったんです。子どもをどうしたら守れるだろうと…。あのときのことを考えると、つらくてつらくて胸が苦しくなるんです」

(同じ時代に子どもを育てているものとして、福島から避難してきている女性たちと思いを共有しながら、一緒に『未来』のことを考え続けたい。そんな思いから、福島の声を伝えていきます)

なぜ福島なのかというと

どうして、そんなに福島への思いがあるのですか? と尋ねられる。

「大切な人がいたから。原発が爆発して、世界が変わってしまったと知ったとき、何とかしてその人を助けたいと思ったから」

その人を助けるために自分ができることを続けていたら、たくさん友だちや知り合いができた。放射能が降りそそぐ町で、「私よりもっとつらい人がいるのだから我慢しなくちゃいけない」と泣くこともせずに、感情を心の奥深くに閉じ込める人がいた。津波で避難してきた人たちのために、おにぎりや豚汁を作り続ける人がいた。

あの時から、福島は、私の一部になった。

福島とつながるために。大切なこと

福島のことを思い、福島の人たちと会い、そして原稿を書くために集中していたので、なかなかブログ更新できませんでした。ツイッター、フェイスブック、ブログ…のすべてを両立するのは、なかなか難しいですね。私はいずれも3・11以降に始めました。フェイスブックは、「いいね!」でつながるコミュニケーションにいつも支えられています。ツイッターはすごい勢いで情報が広がるので、びっくり。そして、ブログはじっくり自分の思いを伝えられる場。できるだけ、更新していけるようにと思っています。

ネットマガジン『マガジン9』に、記事を書きました。

「福島・二本松の有機農家の苦悩と決意と希望を共有したい」

読んで下さい。

http://www.magazine9.jp/tsunagaru/index8.php

農家の怒り、悲しみ…。福島から届いたメール

菅野正寿さん(撮影2011年8月:左は福島市在住の詩人和合亮一さん)

今、福島の農家さんたちは稲刈りの真っ最中です。一番忙しい時期に今回の報道。放射能と向き合いながら農作業を続ける菅野さんから昨夜遅く、お便りをいただきました。ご紹介します。

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農民を追いつめるマスコミ報道を糾弾する       2011/9/28

ふくしま有機ネット 菅野正寿(二本松市旧東和町)

二本松市旧岩代町小浜地区での収穫前の玄米の予備検査で1㌔当たり500㏃が検出された報道(9月24日)でこの小浜地区にどっと報道陣が、田んぼに軒先に押し寄せた。まるで犯人を捜したような眼で。この阿武隈の山間の静かなくらし、平穏なくらしを脅かしたのはだれなのか。

次の日、近所の結婚式によばれた生産者の彼は「申し訳なかった」と近所の方々に謝ったという。みんなは「お前がわるいんじゃねぇ」と。彼の心情を思うと切なくてならない。もしも10㌔しか離れていない自分の田んぼから検出されたらと。

わたしはこの玄米から検出された500㏃/kgの報道をまってましたとばかりにセンセーショナルに伝えるテレビ、新聞、マスメディアに徹底的に抗議をし、糾弾したい。夏の牛肉、わらの問題と同じように農家を追いつめるマスコミ報道のあいりかただ。

マスコミが追及すべきはこれだけ山林も川も汚染してしまった東電であり、この半年間に実態調査を怠っていた国ではないか。須賀川の有機農家、相馬の酪農家、避難して帰宅し自殺した山木屋の婦人・・・もうこれ以上農民を追いつめないでほしい。

<農学の眼で検証を>

この半年、除染という名のもと飯舘村をはじめ多くの研究者が現地で実証実験を行っている。セシウムを固定化させるなどの実験だ。しかし、それは物理的にも経済的にも、農家の眼には疑問を感じる。

わたしは自分の畑で草を刈り、耕し、堆肥を入れ、また耕すことによって放射線量が半分以下になった、草の上で1・5マイクロシーベル/hだったのが0・7以下になった。プラウ耕で土を約20センチ以上反転することで同じような結果だった。つまり耕しながら、種をまきながら、粘土質の土に堆肥をいれてセシウムを土壌に固定化させていくことが、米や農産物に移行させない現実的な方法であることがわかってきた。

つまり、工学系だけでなく農学の研究者をいれて農民を眼で農業技術対策をはかることが重要に思う。

<山林の汚染は深刻>

新潟大学の野中昌法先生から電話が入った。やはりこの小浜地区の検査場所は「山間の沢水を田に使っていた」2つめは「砂地の多い土壌だった」砂地はセシウムが米に移行しやすいのだ。そしてなによりも山林の汚染、樹木、落ち葉の汚染がかなり深刻であると。

今、わたしたちのゆうきの里東和(NPO)では里山再生復興プログラムにとりくんでいる。野中先生には何度も足を運んでいただき土壌検査が進んでいる。「菅野君、東和の山の土壌からも1万ベクレル以上の数値がでたよ」と。わたしはやっぱりか、と思った。

しいたけ、なめこに使う原木は来年も使えないだろう。堆肥にする落ち葉の除染は不可能にちかい。きのこはいつになったら食べられるのか。鳥や動物は?そして来年の田んぼに入れる水はどうするか。

福島県の70%が山林だ。この実態を早急に調査し、機器が足りないなんていわせない。世界中から機器と知恵を集めてほしい。それが東電と国がやるべきこと。それを追求するのがマスコミのやるべきことではないか。

しっかり、ふくしまに向き合ってほしい。

脱原発を訴えるふくしま有機農家さんに聞く(2)

菅野正寿さん

菅野正寿(すげの・せいじ)さん(52)は5人兄弟の長男。二本松東和地区で生まれ育ちました。東京にある農業者大学校を卒業し、「地元に帰って有機農業を始めよう」と決め、百姓を継いだそうです。2・4ヘクタールの水田で米を作り、地元の特産である桑のみを栽培し、野菜を作り、切り餅や味おこわなど農産加工も手がけています。また、NPO法人「ゆうきの里東和ふるさと協議会」の理事も勤めています。

Q 3・11以降、常に不安を抱えてきたと思いますが、そもそも田植えについては5月の時点で、福島県のOKが出て、それに基づいてみなさん田植えをなさったわけですね。

菅野 そうです。原発事故後の3月、地区の農事組合長を通して通知がありました。放射性物質の拡散を防ぐため、国と県が土壌の放射性濃度を分析するまで「耕してはいけない」「種をまいてはいけない」と。耕す春に耕さずというのは、あの戦時中でもなかったことです。

その後、5月になり、田んぼは放射能が基準値以下だったから、福島県の指示で「耕していい」といわれたんです。みんな田植えはしたものの、秋に収穫して買い手がつくか不安でした。でも、田んぼや畑を津波で流された農家や、原発事故の放射性汚染で避難している農家を考えると、「作れるだけいいんだ。がんばっぺ」と思いながらやってきました。農家は毎日、毎日が農作業だから、何もせずじっと待っているわけにはいきません。微生物や木酢を入れて野菜がセシウムを吸わないようにいろいろ試し、できるだけの除染をしてきたんです。

Q それがここにきて、「予備調査」で小浜地区の米から放射性セシウムが検出されるということになってしまった…。

菅野 牛肉と稲わら問題の時も、いかにも農家の管理が悪いというニュアンスの報道がありましたが、なぜ農家が頭を下げなくてはいけないのでしょうか。頭を下げ、責任をとるのは、東京電力や原発を国策として進めてきた国のはずです。ところが、マスコミも東電や国の責任を追求する姿勢が弱いと感じます。かつて戦争に突き進んでいったマスコミの誘導と、質は違ってもとても似ている。問題の本質を見えなくしているとしか思えません。被害者は福島県民であり、国民であり、加害者は東電と国であることはあきらかです。

Q 菅野さんは全村避難となった飯舘村の有機農家さんから、野菜や花の苗を託され、育てていたと聞きます。

菅野 4月に飯舘村の仲間の家に行ったとき「菅野君、オレらはもうダメだから、せめてこれを育ててくれ」とポットの苗を託されました。彼らがどれほど無念だったことか。先日、福島市内に避難している飯舘村の有機の仲間に会ったとき「避難する前の4月ころまでは、悔しさと怒りだったのに、5月に避難する頃はむなしさとやりきれなさになり、今、避難生活が3カ月になり、みんなバラバラになって、村からの情報もなかなか届かなくなり、100万円の仮払金をもらうと、後は自己責任のような心情になるのが怖い」と話していました。東電と国の義務を果たす責任をマスコミはもっと追究すべきです。私たちにできることはその責任を覚悟を決めて果たさせること。同時に毎日の暮らしのなかで力を合わせて復興することなのです。

Q 私は、農家さんたちを支えたい気持ちの一方で、みなさんの内部被ばくを心配しています。

菅野 私らも不安です。今、うちの田畑の空間線量は0・5前後ですが、毎日、土を触ってきたから、被ばくしている可能性は高い。一刻も早く、それぞれの自治体にホールボディカウンターを入れてほしいと要求しています。米の検査も大切ですが、「人間の検査」を急いでほしいのです。もし、被ばくしているなら田畑に入るのを控えるなど手だてを考えます。でも、被ばくしているかどうか、その実態さえわからないから続けるしかない。娘はできるだけハウスで作業をするようにしています。

Q 脱原発について考えを聞かせて下さい。

菅野 原発事故によって放出された放射性物質のために、福島の山林、海洋、里山、農地が次々に汚染され、私たちの暮らしが脅かされています。とりわけ、自然の循環と生態系を守り、健康な農作物、健康な家畜を育んで来た有機農業への打撃は深刻です。里山と落ち葉、その流水と田畑、家畜の草、堆肥、わらなど大切な循環資源がことごとく汚染されました。原発と人間は共存できないことはあきらかです。ただちに、すべての原発の停止と廃炉を呼びかけます。それを訴えていくために、福島の有機農家が集まり「脱原発・ふくしま有機ネット」を立ち上げたところです。

Q「脱原発・ふくしま有機ネット」は今後、どのような活動を予定していますか?

国や東電への要請行動をはじめ、いろいろ検討中です。11月27日には東京でシンポジウムを開く予定ですので、ぜひ来てください。

Q 改めて今の気持ちを聞かせて下さい。

菅野 これから先、どうなるのか不安でたまりません。仮に、今後、収穫した米から放射性物質が出なくても、福島や二本松と聞いただけで拒否する人が増えるのではないか。米が売れなければ来年の暮らしが成り立ちません。ここは原発から50kmほど離れており、国や県からの何の補償もありません。

Q 自分ができることを支援したいという人はたくさんいます。何を求めていますか?

どうか私たちの心に寄り添って下さい。大津波で家族を亡くした悲しみ、家も農地も流された苦しみ、いまだ避難を余儀なくされている苦渋、放射能に怯える子どもたち、汚染された農産物の怒り…。福島の心に寄り添ってほしい。

問題は次から次に押し寄せます。稲刈りをした後のわらはどうすればいいのか? 米ぬかは使えるのか? 米に放射性物質が移らなくても、わらやぬかは高いかもしれない(注参照)。来年の農作業に向けて、堆肥を積み込むために使っていいのか。来年の肥料(有機質の材料)をどう確保するのか。汚染されていないものを土に入れて、来年の種まきをしたいのです。「脱原発・ふくしま有機ネット」としても、堆肥を作るための有機質資材の支援もお願いしたいと考えています。そして、米の検査を受けて放射性物質がゼロだったら、米を買い支えてくれる人を増やしたい。私らは検査データはすべて公表します。どういう土作りをしてきたかも公表します。自分たちができることは努力します。

注)イネに吸収された放射性物質は、実のほうには全体の約10%しか移行しないといわれる。また、放射性セシウムは穀物(米や麦)の外皮・籾に多く、精米することで半分以下に減り、セシウムは水溶性のため、水で米をとぐとさらに半減するといわれる。

 

 

 

誰が大地を汚したのか。福島二本松市の有機農家さんに聞く(1)

菅野正寿さんの棚田

二本松(小浜地区)の玄米から、暫定基準値と同じ1キログラムあたり500ベクレルの放射性セシウムが検出されたことについて、福島県二本松市の東和地区で30年にわたり有機農業を営んできた菅野正寿さんにさきほど話をうかがいました。

Q 二本松の米から放射性物質というニュースに言葉を失いました。今の気持ちを聞かせてください。

菅野 ショックです。二本松はじめ福島の農家はみな衝撃を受けています。私たちが何か悪いことをしましたか? 誰が大地を汚したのでしょうか? 東京電力と、原発を推進してきた国の責務ではないでしょうか。そして、3月11日以降、半年もたつのに実態調査もしないまま責任を放棄してきた国の姿勢について憤りを覚えます。

昨日から、セシウムが出た農家の庭先にたくさんの報道人がきています。それを見ると私はつらいです。農家の庭先にマスコミが押し掛けることはしてほしくない。これでは、私らが悪いことをしているみたいです。自分の責任ではないのに、庭先にきてあれこれ追求される。ほこさきが違うように思います。農家も、なぜ自分の田んぼからセシウムが出たのか原因がわからないのです。テレビの映像を見ながら、悲しくてしかたありません。

Q 二本松といっても広いと思うのですが、小浜地区で放射性セシウムが検出された背景をどう考えていますか?

A 小浜地区は二本松駅から東に10キロほどのところです。明日にでも現地に行って詳しく聞いてみるつもりですが、小浜は山あいにあり棚田で、山のわき水を田んぼに引いています。このため、雨が降るたびに森林の汚染された土砂や落ち葉が田んぼに流れ込んできます。それが田んぼに入り、稲に放射性セシウムが移ったのではないかと思われます。

また、土壌は砂地のため、粘土質が弱いというのも特徴です。うち(東和地区)の土は粘土質のため、セシウムが粘土質に移行し、結果的に稲にセシウムが移行しにくいのですが、砂地はそうでないため稲にセシウムが吸収してしまったのではないかと推測します。私は独自にうちの田んぼの玄米を検査したのですが、放射性物質は検出されませんでした。いずれにしても原因を究明する必要があります。

(続く)

小出裕章さんとの出会い、そして今日もまた悲しい報せが

昨日は『脱原発社会を創る30人の提言』の出版記念シンポジウムでした。都内会場は350人の超満員。小出裕章さんの人気はすごいです。私も執筆者の一人として発言しました。シンポ終了後、いろいろな方が「共感しました」と話しかけてくれました。
終了後、打ち上げの席では、小出さんとたくさんお話しました。「これからも福島の思いに寄り添って下さいね。共にがんばりましょう」と嬉しい言葉をいただきました。今日はそんな「前向き」な話を書くつもりだったのですが、朝刊をみて、ショックを受けています。

みなさん、すでにご存知と思いますが、二本松(小浜地区)の米から検出された放射能値の話です。新聞を見て驚き、朝、福島県二本松市東和で有機農業を営む菅野正寿さんに電話しました。お互い、ショックで言葉がでません。米が売れなかったら、どうやって1年間の生計を立てるの? 大地を耕し、いのちの恵みを私たちに届けてくれた農家さんたちから、すべてを奪ったのは誰なの?。美しい言葉はいらないし、解決策も見つからないけれど、「なんで、こんなことになったのか」「誰が、どんな国策が悪いのか」という本質をあいまいにせず、考えていきたいです。なんだか、言葉がうまく出てきません